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木内監督逸話

 投稿者:甲子園  投稿日:2009年11月 2日(月)23時31分11秒
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   西田アナウンサーが登場した。話し始めは原稿を読んでいるかのような早い口調であったが、次第にゆっくりと話すようになった。「スポーツは力とか技とか練習が大事といいますが指導者なんです。」そして自分の著作の一遍を紹介する「日本ではつい最近までスポーツともっとも縁遠いものは言葉だったような気がする」と私はこう書きました。それから木内幸男という西田アナウンサーを魅了した甲子園の名監督について語りはじめた。木内監督は茨城県のこれまで二つの高校の監督を歴任し取手二高時代では総合成績8勝5敗(春2回、夏4回(優勝1回))、常総学院では総合成績32勝12敗(春5回(優勝1回、準優勝1回)、夏9回(優勝1回、準優勝1回))という輝かしい成績を残している。2003年にはダルビッシュ擁する東北高校に4−2で勝ち優勝している。これが木内監督の引退試合となる。優勝した時の監督のインタビューが場内に流される。胴上げされる木内監督の背後には応援席ではなく、なんと一般席から「木内コール」が沸き起こっている。中継しているアナウンサーも驚いたように「ああ、場内からは木内コールが起こっていますね」と紹介している。優勝インタビューで木内監督はこういった「そうですね一点ずつというのも野球なんですが、タイミングを取らせて打たせたら、3点も取ってしまって、こんなうまくいくことはなかなかありません。ピンチになったとき同点でもまだ日が高いからと腹をくくっていました。いやーまあ、ついてますよ。(問:監督にとって甲子園というのはどんな存在だったのてしょうか)子供たちを人間として野球人として一人前にするところで ここは大変いい教育の場です。ほとんどの子供たちがここで優等生になってくれます」

 これまで甲子園に来たチームのなかで、最強のチームはどのチームだろうか。おそらく多くの人はこういうだろう、「桑田・清原のいたPL学園」そのPL学園に取手ニ高は決勝で対戦した。その時、桑田・清原はまだ高校二年生であったもののチームは前年優勝、そしてこれに勝つと二連覇と言うすごいチームであった。決勝で戦う二ヶ月ほど前の6月24日、取手ニ高はPL学園と練習試合を戦っていた。西田アナウンサーは選手に声をかけた。選手は桑田・清原のいる、あのPL学園と戦えたことが嬉しかったようで、「桑田が投げてくれました」。と言ったことに「投げてくれましたとは、なんていじましいではありませんか」。といった。確かにその試合は13−0という完敗であった。実力の差は歴然としていた。

 そのPL学園と決勝で戦うことになった。前日の夜選手を集めてミーティングが行われた。木内監督はこう言った「甲子園の決勝と県大会の決勝とは天と地ほど違いがある。決勝にまでコマを進めることができたのはPLとお前たちだけだ。よくぞここまできた、旗も二本あるそうだから」。と言い出した。「取手に帰っても旗を持っていれば格好がつく、だから明日は気楽にやれ」。と、茨城弁で言った。その言葉を聴いた選手たちは安心からかとてもリラックスしてぐっすり寝たそうだ。「負けても旗がもらえるから勝っても負けてもどっちでもいいか」。

 翌朝西田アナウンサーはこの話を聞いたが しかし間違いにすぐ気がついた。旗があるのは春の選抜だけであって夏は優勝旗しかないことに。決勝の試合前、洗面台の前で待っていると木内監督がやってきて顔を洗いだした。そして顔を拭こうとしたときに、こういった。「木内さん夏は優勝旗一本しかありませんよ」と、そう言うとよっぽど驚いたみたいで、持っていたタオルを落としそうになった。「そんなことねえべさ、今から何年か前に栃木県の小山高校が決勝で大負けしたけど、でっけえ旗を持って帰ってきたべ」「木内さんあれ夏でしたっけ」と西田アナウンサーが言うと、しばらく長い沈黙の後「はぁるだ・・・選抜だ」と、とってもがっかりした表情を見せた。「じゃあ夏は負けっと何もらえんのけ」と聞くので「楯ですよ」といった。すると「でっかいけ」と聞いた。絶対的にPL学園有利であったから大きいといって安心しちゃってもらっては困るので こんなもんですよと小さく手でその大きさをあらわした。「そんなんじゃ取手に持って帰っても格好つかないべさ」という「俺は春と夏とを勘違いしたんだな」とぽつりとつぶやいた。顔を拭き終わると選手のほうを向いた。選手たちは清原が、がんがんラッキーゾーンにボールを打ち込んでいるバッティング練習を見て、しーんとなっていた。「おーい旗は一本しかないってよ」選手たちはいっせいにこちらを向いた。「いまNHKさんから聞いたんだけど夏は優勝旗一本しかねえんだと」一人の選手が言った「じゃあ夏は負けたら何もないんですか」「楯だ」一人の控えの選手が小さく言った「昨日二本あるっていったよな」木内監督はそれを聞いていう「いった、おらあ言ったぞ」それを聞いて選手たちは再びしーんとなった。「ニ本あるのは春なんだと、しゃーねえ今、夏なんだから」西田アナウンサーはどういう風に落とし前をつけるのかなと聞いていた。「おーい旗一本きゃねえんだったら、お前らやっぱ勝つっきゃねーな」そのとき選手は全員どーっと笑った。そのとき西田さんの目頭が熱くなった。甲子園で多くのベンチの様子を一回戦から見て来たが、あんなに大きな声でベンチ全体で笑ったチームはいなかったからだ。

 一回に取手二高が2点取った。PL学園が一点返したが、また取手が2点取った4-1で取手二高がリードして8回まで来た。清原がヒットを打ち4-3になり9回PLの攻撃 清水がレフトスタンドに入るホームランを打ち同点となる。延長になってしまったことで落ち込んでいる選手たちがベンチに帰ってきた。木内監督は選手に声をかけた。
「おまえらまだ甲子園で決勝ができんだから、甲子園で野球ができんだからよかったじゃないか」といった、そして選手に前を向かせた。次の後一言「まだ日も高いし」と言った。このことばで選手は実に元気になった。

 10回の表ワンアウト一塁二塁というチャンスが来た。そのときのバッターは中島君というキャッチャーだった。中島君は木内監督がベンチで 肩の力抜けー肩の力抜けー というジェスチャーをやっているのをみてニコニコ笑っていた。平常心で臨んだ彼は桑田が投げた球をレフトスタンドに入るホームランを放った。結局その試合は8−4でPL学園に勝った。取手が勝った、というよりPLが負けたという試合であった。翌年優勝したPLは取手に勝ってれば三連覇だったからだ。

 現在、都市対抗野球のチーム鹿島の監督をやっている中島君に、後日当時の話を聞いた「あの時君笑っていたね」ワンアウト2塁だったので自分の前のバッターが敬遠された。次のバッターである自分はワンアウト一塁二塁の場面になってので定石どおり桑田に打球をピッチャー返しをしようと思い太いバットを取りに帰ったそうだ。バットを選んでいたら後ろから木内さんに「ショウイチ、お前背筋力いくつあるんだっけ」ときかれた。「210kgです」といったら「ほ−そんなにあんのか、人様いっぱいみてんだから、その背筋力をちょっくらみせてこい」。と言いぽーんとお尻をたたいた。叩かれた勢いでバッターボックスまでふらふらと歩き、監督のほうを見たら監督がニコニコした顔をしてたので笑ったといった。それで中島君は平常心で臨むことができたと言った。

 今から14年前の1994年、その年甲子園に出れなかった名監督の話をいろいろ聞き番組を作った。その中の一人に木内監督もいた。木内監督が取手ニ高にいた頃はクラブ活動の援助と言う名目の課外授業校外教育費をもらっていたが、それで当時50歳だった木内監督は月額7.5万円の収入だったそうだ。「木内さん生活大変だったでしょう」というと「かあちゃんがキリンビールで17.5万円もらってきていたから大丈夫だ。それに農家から嫁もらったもんだから、お米とお天道様はずっとついてくるものだと思っていたんだよ」。という。苦労話を聞くのは好きではない、スポーツで苦しい話は当たり前なのだから。みんな苦しい練習をこなしてきている。木内監督は苦しいというふうには話をしない。今プロで活躍しているのは仁志と日本ハムの金子の二人だけだ、それでも甲子園で春1回夏2回の3回も優勝した。これは選手よりも監督の力の大きさを表している。甲子園でベスト8まではチームの持つ実力かも知れないが、それ以降は監督の力が大きいのだ。

 「木内マジック」という言葉がある。西田さんは本の中でこう書いた。木内マジックですねと言うと木内監督は「スポーツとは会話なんだべ」といった「甲子園に来て技術を売りものにしてもだめだ。この玉を打つにはこうしてああしてと教えてもできないものは、できるわけがない。いかに選手の気持ちを作ってやるかが大切だ。この試合の意義、がんばる目標、いかにたたかうかという気持ちを作ることです。監督としてはもっと技術指導をしたいのでさびしいのですがそれはむだになります。方向付けをするのが一番です」

 木内さんの持つ言葉の魅力、それは何だろうか。スポーツというのはひとつのフルーツと考えることができる スイカでもメロンでもいい。二つにパーんと割られてしまう。勝者と敗者に。そして勝ったものがヒーロー負けたものはセンチメンタルになってしまう。だからスポーツでの関心ごとは勝敗が必ず先に行ってしまう。しかしそのなかにある言葉には実に大事なことが隠されている。そこにスポーツの持っている文化として認められる時間がある。
 
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